アラフィフの人生を振り返る

よくいるアラフィフな人のブログです。

chiriko いやいやスイミングスクールに通う

あれ?なんか今日は蒸し暑くないですか?

やっと過ごしやすくなったと思ったのになあ。

さらに、数日前からホットフラッシュも始まったようです。

あ〜あ、年に1度くらいの頻度であるのですが、つらいですよね。ホットフラッシュ。

仕方がないので漢方飲みます。

 

ピアノを習い始めたことを思い出したら、水泳を習い始めたことを思い出しました。

幼稚園から小学校1年生まで、スイミングスクールにも通ってました。

これもある日突然、母親に連れられて電車に乗ってとなりの駅のスクールに行くことになってました。

これは「習う?」とか聞かれた覚えが全くありません。

ある日突然プールに放り込まれた感じです。

 

昭和50年前半のプールって子供仕様とかなんてなくて、大人用の50メートルプールで

当然、幼稚園児の足なんて届きません。

ただただ、怖かった思い出。

しかも、自分でやりたかったことじゃないし、なぜプールに行くのかも理解してなかったからイヤでイヤでしょうがなかった記憶があります。

 

毎回泣いてるかベソかいてるか。

水泳の先生も怖かった記憶があります。

幼稚園児だったので、泳ぎを教わるレベルじゃなくて顔がつけられるようになるとか

足が届かないプールだからか、腕にはめる浮き輪みたいのをつけられて、プールのヘリに掴まってバタ足とかしてたような。

 

そうそう確か、同じ幼稚園の子も数人同じスイミングスクールに通ってました。

プールも泳ぐのも先生も怖かったけど、友達がいたのだけが救いでした。

が、その友達も違うスイミングスクールに変わっちゃったんです。

近所に新しくスイミングスクールができたらしく、私以外全員そこのスクールに通いはじめて、ある日突然みんなが来なくなりました。

 

唯一の救いの友達がいなくなって、一人だけ大嫌いなスイミングに通うなんて本当に辛かったです。

「私もみんなと一緒のスクールに行きたい!」って母に言ったのを覚えてます。

それに対しての母の返事は「No!」

ロッカーで一人で水着に着替えながら泣いてたな。

 

まあ、スイミングスクールを変われなかった理由は大人になった今ではだいたい想像できますけどね。

当時の母に言いたいです。

幼稚園児で納得はできなくても、理解はできなくても、せめて説明はしてほしかった。

どうしてスイミングスクールに通うことになったのか。

どうしてスイミングスクールを変えることができないのか。

 

うちの母親って子供に説明や優しく諭すってことをしない。もしくはできない人でした。

きっと言ってもわからないだろう。で進める人でした。

もし私が母親になっていたら、どんなに子供に通じなかったとしてもせめてイメージだけでも思い描けるよう、お話しはする母親になっていたかったなあ。

 

ピアノと同じで水泳も2年くらいで辞めることになります。

幼少期で水に対する恐怖心を抱いたのでその後何年も水泳が大嫌いでした。

さすがに今は適度な運動と健康のために泳いだりはしてますけど。

 

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そろそろ新米のおいしい季節ですね。

千葉県のお米がお気に入りです。