アラフィフの人生を振り返る

よくいるアラフィフな人のブログです。

お誕生日会の思い出

台風、なかなか去ってくれないですね。

雨、風で被害が広がりませんように。

 

新宿区で暮らしていたころの幼稚園時代の思い出で、ブログを書きながら思い出したことがあります。

5歳の誕生日でした。

母親が「友達を家に呼んで誕生日パーティをひらこう!」と言い出しました。

パーティなんてキラキラした事ができるなんて、嬉しくて

私は幼稚園で友達に声をかけまくって家に招待しました。

たぶん、7〜8人は呼んだ気がします。

うすらぼんやりですが、招待した友達に「プレゼンとは何が欲しい?」って聞かれて

「ぶどう!」「なんとかキャラクターのえんぴつ!」とか言った気がします。

我ながら図々しい幼稚園児。

 

誕生日会とはいえそこは5歳児、お菓子食べて友達とワイワイぎゃあぎゃあ遊んでるだけでした。

が、ここで事件が起こります。

私にではなく、母親に

 

もう名前は忘れちゃったけど、ある女の子が母に言ったんです。

「ねえ、プレゼントのお返しってなあに?」

 

母、度肝抜かれたそうです。

母にとって長女の私は初めての子、子どもの通過する行事は母にも初行事なわけで。

誕生日会に招待し、お菓子やケーキ、食事を振る舞うだけで充分だと思ったらしいです。

慌てた母はまだ5歳の私をこっそり呼んで伝えました。

「○ちゃんにお返しは何?って聞かれちゃった。お返しなんて用意してない。

するもんだなんて考えがなかった。今からお返しを買いにいくから待ってて!」

 

で、慌ててお返しとして買ってきたのは花火セットでした。

まあ、みんなの持ってきたプレゼントに対して妥当な金額だったのと

すぐに近場で調達できるの物が花火しかなかったんだろうな。

45年前の話しですからね、コンビニもなければかわいい焼き菓子が売ってるケーキ屋なんてないですから。

いまなら駅前のショッピングモールとかでお返しにふさわしい物がかんたんに手に入りますが、昭和50年の初めころなんてそんなもんでした。

 

今でもこのことを思い返すとほんのり胸が痛むんです。

誕生日パーティをひらくと言い出した母がお返しを準備することを知らなかったこと

慌てて買いにいく様を私に見せたこと

子供ながらに世間では当たり前のことを知らなかった母親が恥ずかしかった記憶があります。

 

母も新宿の新築マンションの上階で暮らしはじめたこともあって、都下の畑ばかりの町から抜け出せてあの頃は浮足だってたのかもしれませんね。

娘が喜ぶだろうと誕生日パーティを企画してくれたことは感謝しなければいけないことですが、感謝の前に恥ずかしさのほうが胸に広がってしまう私です。

お母さん、ごめんねえ。

 

とはいえ、母親のやらかしは今後もいろいろとあるんですよ。

 

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